スティーブは空を見上げた。重圧感のある空気が漂っている。
ミスった、と英語でつぶやいた。湿った空気が頬を濡らす。生暖かい空気にあてられ、スティーブの脇はぐっしょりと濡れていた。
またか、とため息をつく。
今朝の天気予報は晴れだった。
カンカン照りの一日、気温は35℃。カナダから大学の休暇中にバカンスに来たスティーブとアリスにとっては最高の一日になるはずだった。しかし、だ。明らかに雲行きが怪しい。
気象庁のあんぽんたんめ!日本に来てからもう三度目だ!
舌打ちをしながら足を早める。速くホテルに戻らねば…ゲリラはやばい。気が付いたらアリスの手を引っ張り小走りになっていた。
すぐ後ろから雨音が迫ってくる。あと100m、ホテルまでたったの100m。
深呼吸をする。スティーブは覚悟を決めた。ゲリラ豪雨と正面対決する覚悟だ。
大きく息を吐き、今の状況を笑った。
せっかく物理のことを忘れるためのバカンスだったのに、こんなところでアクシデントに見舞われるとは。
Why Japanese people…
心に余裕ができたのだろうか、ホテルのTVで見たコメディアンのギャグがふと口からこぼれ落ちた。
そしてスティーブはひざまずき、紙とペンをポケットから取り出した。
スティーブは直方体!?
スティーブは物理学最難関の問題といっても過言ではない「ゲリラ豪雨の対策」について考え始めた。
まずスティーブは物理における最大の肝ともいえる、モデル化に取り組んだ。
モデル化とは実際の現象を、扱いやすいモノや現象に置き換えることである。
スティーブは自分自身を直方体に見立てることにした。
至極まっとうなモデル化である。
スティーブが直方体になったとしても物理としては大きな変化はないが、なんとなく問題の見通しが良くなる。
ゲリラ豪雨の中を歩くべき!?走るべき!?
ここからが本題だ。
まず、ここ100年ほど決着がついていない問題、「雨の中では歩くべきか走るべきか問題」を議論する。
雨の中、ぼーっと突っ立っていたらびしょびしょに濡れてしまう。
逆に全力で走ってもびしょびしょになってしまう。
最も濡れにくい中間の速度があるのだろうか?
まず最初、立ち止まっている場合を想定する。
図にあるように、このとき上からかぶる雨の体積はS*v*tなので、無限に(tが∞)突っ立ていたらかぶる雨の体積は無限になる。当然だ。
(※雨は一様だと考えます※)
ではホテルに向かって歩いていた場合はどうか?
歩く場合、雨は斜めに入ってくる。
物理では、このとき、ベクトル分解と呼ばれるものを行う。
身構えず、右の図を見てほしい。要するに、雨が上から来るのと前から来るのがあるよと分けて考えているだけである。
もし仮に100m先のホテルに行きたい場合、前からかぶる雨の体積は実は決まってしまっている。S’*100mである。逆に上からかぶる雨の体積は先ほど同様にSvtである。
つまりだ。どうやっても前からかぶる水の量は一緒になるのだから、上からかぶる雨の体積を減らしたい。
我々所詮人間ができることといえば全力で走って、ホテルまでの到達時間tを減らすことくらいである。
物理が教える最善の対策とは!?
俺が知りたいのはこんなことではない!!
スティーブはうなった。秋に迫ったノーベル賞をなんとしても受賞したい。そのためにはさらに新たな発見をする必要がある。
既にあたりはぽつぽつと雨が降っていた。
どす黒い空が一面を覆う。低気圧に弱いスティーブは軽く頭痛を覚えた。
20前半にしてすでに薄くなりつつある後頭部をひんやりとした雨が刺激する。
スティーブはふと、日本の人気キャラクタードラえもんを思い出していた。
石頭を武器に捨て身で戦うドラえもん、侍精神が随所に現れている漫画だと仲間内でもっぱら評判だ。
映画ドラえもん・雲の王国をアリスと見たときなんて、お互い朝まで顔を腫らしたよな。
頭痛のせいもあるだろうか、少しセンチメンタルになっていた。
急激に雨音が強くなる。まとわりつくような熱気の中、むしろひんやりとした雨は気持ちよく感じた。
自分はなぜドラえもんのことなど思い出したのだろう。
映画の主人公になったかのように天を仰ぎ見た。
「・・・石頭!?!!」
石頭!?!!
スティーブはひらめいた。
もし、自分が正面から雨をかぶらなくて済むのなら、濡れることを大幅に回避できるのではないか!
頭だけで雨を受けることはできないであろうか?
体を前傾させればいいのだ!石頭作戦だ!
スティーブはびしょ濡れになった紙とペンを捨てた。
どこからか湧き上がる数式を自分でつかみ取っていった。地面からエネルギーが自分の中に入ってくるのを感じて居た。不思議な力だった。自分が世の中すべての代弁者であるように感じた。
スティーブは数字を紡いだ。
走ると雨は斜めから体に当たる。
もし体の軸を傾けて、雨に対して平行にできれば、雨に当たる断面積は最小限に抑えられる!
計算によると、雨の体積は
S*100[m]/cosθ
となる。
足が速ければ速いほど角度θが小さくなり、頭に受ける雨の被害も小さくなる。実に直感的である。
斜め45°で全力ダッシュ!
しかし、式だけでは現実世界では通用しない。
あともう少しだ!
スティーブは熱中していた。
ゲリラ豪雨のような強烈な雨の場合、雨滴の落下速度は7-8m/sである。
これは時速に直すと25-30km/h程度である。
これはおおよそ人間が全力で走ったときと同じスピードだ。
これは体を斜め45°にすればよいということを教えてくれる。
斜め45°に傾けながら100mを15秒程度で駆け抜けるのだ。
そうすれば、頭頂部、肩を除く部位は無傷で生還できる。
自然とスティーブの表情が緩んだ。
空を見上げると、雨はもうやんでいた。
びしょ濡れのTシャツを絞ると滴るように水がこぼれた。
アリスはもう部屋に帰っているのだろうか。もっどったらまた怒られるだろうな。とため息をついた。
前向きなため息だった。生ぬるいしけった空気が体から抜けていくような感じがした。
なんでそんなことをしたのかよくわからない。
雨はやんでいた。
だが、スティーブは構えた。
体を45°に傾け、そして走り出した。
空には大きな虹がかかっていた。
参考文献:
https://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1403.html
画像引用:
http://fullabo.com/running/040/
投稿者プロフィール
- 東京大学物理工学科卒業。現在ブランダイス大学にて物理(ソフトマター・生物物理)を専攻中。Ph.D.1年目。好きな筋トレはトライセプスエクステンション。好きなビールはIPA。
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