透明人間ならぬ透明マウスが透明になる理由

視覚をカガクする。というテーマでお届けするリレーブログ第二弾。第一回は大地君が物理的な視点から「視覚」を議論してくれました。

それを踏まえて、今回のブログでテーマとして取り上げたいのは「透明化」です。

透明化と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、ドラえもんやハリーポッターに出てくる透明マントかもしれません。ハリーが透明マントでスネイプから身を隠すドキドキ感、たまらないですよね。

http://blog.esuteru.com/tag/%E9%80%8F%E6%98%8E%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88

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透明マントは、メタマテリアルという特殊の物質を使うと実現できるとかできないとかいう話もあるらしいですが、これについては僕がよくわからなかったので飛ばしましょう。

今回紹介するのは、透明人間ならぬ透明マウスについてです。


透明化技術とは


マウスの体は透明化できる。といわれると、本当に?と思われる人が多いと思いますが、世の中には透明化試薬というものが存在し、この試薬を使えばマウスの死体を簡単に透明化できてしまうのです。(!)

Tainaka. K et al, Cell, 159, 911-124 (2014)

Tainaka. K et al, Cell, 159, 911-124 (2014)

研究者達は、面白半分にマウスを透明化しているわけではなく、きちんとした理由があるのですが、その説明は別の記事に回すとして、今回は、この試薬につけておくだけでマウスが透明化する原理について考察してみたいと思います。

よく考えると不思議じゃないですか?なんで透明になるの?

 

 


透明であるとは物理的にどういうことなのか?


大地君の記事の説明によると、光と物質の主な相互作用には、1.発光、2.透過、3.吸収、4.散乱の4つがあります。物質が透明であるということは、光が物質を2.透過するということと同義です。つまり、生体を透明化するためには、2.透過以外の光と物質の相互作用を排除すればよいわけです。

1.発光は無視してよいでしょう。なぜなら、生体内に発光する分子を持っている生き物はほとんどいませんから。

そこでまず、排除しなければいけない3.吸収と4.散乱のうち、4.散乱が透明化試薬で抑えられている理由について考えていきましょう。

透明化を妨げる要因: 1 散乱

光の散乱とはどのようなときに起こるのでしょうか?

http://www.jst.go.jp/pdf/pc201503_ueda.pdfを参考に作製

http://www.jst.go.jp/pdf/pc201503_ueda.pdfを参考に作製

調べたところによると、光の散乱というのは、屈折率の違う物質の界面で起こります。生体における光散乱の主な要因は、水(屈折率1.33)で満たされた生体中に、脂質(屈折率おおよそ1.5程度)のような高屈折率の分子が混じっていることです。つまり、生体の構成成分の屈折率を均一にすれば生体による光の散乱を抑えることができるといえます。

光の散乱を抑える方法には大きく分けて二つのアプローチがあります。

①有機溶媒による透明化

一つ目のアプローチは、有機溶媒(高屈折率)により組織内の水を置換してやって全体として脂質側に屈折率を合わせる方法です。

このタイプの透明化試薬には、THF(テトラヒドロフラン)とDBE(ジベンジルエーテル)からなる、3DISCOという2012年に報告されたものがあります。

Ali Erturk et al, Nature Protocol, 7, 1983-1995 (2012)

Ali Erturk et al, Nature Protocol, 7, 1983-1995 (2012)

この試薬は、脱水の効果のあるTHFと、高屈折率液体であるDBEからなり、マウスの脳を浸しておくだけで、組織全体の屈折率を高屈折率に合わせて透明化することができます。しかし、この有機溶媒ベースの透明化試薬は、透明化した組織をイメージングする際に用いる蛍光タンパク質が褪色しやすいという問題点が存在します。

②水溶性の透明化試薬による透明化

もう一つのアプローチは、散乱の主な原因である脂質を取り除いて水側に屈折率を合わせる方法です。その代表例に理化学研究所の宮脇教授が開発したSca/eA2試薬と呼ばれるものがあります。

H. Hama et al, Nature Neuroscience, 14, 1481-1488 (2011)

H. Hama et al, Nature Neuroscience, 14, 1481-1488 (2011)

この試薬は、界面活性剤によって、(あくまでイメージですが)油汚れを洗剤で落とすように脂質を組織から取り除きます。さらに、試薬の成分である尿素には、組織間の結合を弱めて界面活性剤が組織へ浸透しやすくする役割があると考えられており、マウスの脳を浸しておくだけで、非常に透明度が高いサンプルが得られることが特徴です。また、この試薬は水溶性であるため、タンパク質へ優しく、蛍光色素の褪色を抑えることにも成功しました。

 


透明化を妨げる要因: 2 吸収


 

ここまでの二つの例では何れもサンプルとして脳を用いていました。しかし、全身を透明化しようとすると次に立ちはだかるハードルが吸収です。

生体内で光が吸収される主な原因は、赤血球の中にあるヘム色素による吸収です(血液の赤さの由来です)。脳の組織は全身の組織に比べて細い血管が少ないため、透明化試薬に浸しておくだけで血液が洗い流され透明化できますが、全身を透明化するためにはヘムを能動的に脱色する必要があります。

赤血球

そこで宮脇教授と同じ理化学研究所に所属する上田教授によって開発されたのが、CUBIC試薬です。この試薬は前述のSca/eA2試薬の界面活性剤の濃度が最適化され、さらにアミノアルコールというヘムを脱色する成分も加えらています。このCUBIC試薬をマウスの全身に還流させると、アミノアルコールのヘムを脱色する効果も合わさり、全身を透明化することができるのです。

もう一度透明マウス。 Tainaka. K et al, Cell, 159, 911-124 (2014)

もう一度透明マウス。
Tainaka. K et al, Cell, 159, 911-124 (2014)

余談ですが、アミノアルコールがヘムを脱色する機構はまだあまりわかっておらず、それが発見された経緯も偶然なのだそうです。気になる方はこちらへどうぞ。

 


疑問点…?


ここまでは僕が自分で調べてみたことなのですが、どうしても一つ腑に落ちない点がありました。それは「屈折率の異なる物質の界面で散乱が起こる」という点です。なぜ屈折率が異なる物質の界面では散乱が起こるの?屈折率の異なる物質の界面では屈折が起こるんじゃなかったっけ?散乱と屈折ってどう違うの?

しかしどこを調べても、下図のような説明以上のことは出てきません。うーん困った。ということで、以下で自分なりに考察をしてみました。

ぶっちゃけこの説明だとあまりしっくりこない。

ぶっちゃけこの説明だとあまりしっくりこない。

まず、散乱というと空気中や溶液中の粒子による散乱を思い浮かべると思いますが、その散乱の有無というのはその粒子のサイズに影響されます。例えば、細胞膜の主成分であるリン脂質が溶けた水を考えた場合、脂質が分散した状態ならばその溶液は透明に見えますが、脂質が集まって凝集体のようなものを作った場合その溶液は濁って見える(光が散乱している)はずです。つまりある物質の構造のスケールが可視光の波長レベル(数百nm)のスケールよりかなり小さければ散乱は起きず、可視光の波長と同じぐらいのスケールになれば散乱や反射が起こると考えられます。

散乱生体内の脂質の(たぶん)大部分はリン脂質という両親媒性の分子で、リン脂質は水中では脂質二重膜を形成して細胞膜の基本構造となります。

つまり、このリン脂質が水の中で脂質二重膜という規則正しい構造をとり、そのスケール感が光の波長レベルであることが生体の散乱の原因になるのではないかと考えられます。

そうだとすれば、Sca/eA2やCUBICのような水溶性の透明化試薬で、脂質を取り除いてやることで散乱が抑えられることとつじつまが合います。

あれ、じゃあ3DISCOのような有機溶剤をベースとした試薬だと脱水作用しかなくて、脂質二重膜の構造は壊れないからこの理論通りいけば光が散乱するんじゃないの?という意見もあるかと思います。これについては以下のように説明が考えられます。

細胞の脂質二重膜構造は、リン脂質の水溶液中で一番安定な構造です。つまり水を取り除いてやれば自然にこの脂質二重膜の構造は不安定になり崩壊して脂質が分散した状態になるのではないのでしょうか。(水がなくなったら今度は逆ミセルのような構造になりそうな気もしますが)

うーん。これが自分の考えられる範囲で考えた結果ですが、いまいち自信はありません。ということで、何か間違っていると思う点、気づいた点、上手い説明等ありましたらコメント欄へ是非どうぞ(^^

ドラゴン

ドラゴンの記事を読む

追記 (2016/6/11)

世界の開拓者さんからのコメントの返信を考える過程で考えたことを、補足として追記してみます。まず、上記の考察も下記の補足もあくまでも僕が勝手に書いている解釈の話なので、これらの説明が正しいとは限らないことを最初に言っておきます。

物質の屈折率というのは密度に比例するので、「屈折率を合わせれば透明になる」というより、「密度を均一にすれば透明になる」のほうが分かりやすいよう説明のような気がしてきました。

なぜなら、生体には脂質以外にもタンパク質や糖、核酸、金属イオンなど散乱の原因になる可能性がある物質を含んでいるからです。これらの物質が、散乱の原因にならないのは、生体の溶媒である水に分散しているためです。この分散した状態というのもミクロなスケールでは密度が違うもの(例えば水とタンパク質)の混じりものなのですが、タンパク質一分子は可視光の波長よりかなり小さいため、可視光はすり抜けることができ、密度が均一なように感じるのです(この表現は感覚的で正確な説明ではない気がします)。

しかし、リン脂質は水溶けにくく脂質二重膜という可視光の波長レベルの大きさの構造体を作るので、光がすり抜けることができず散乱の原因になります。

Sca/e2AやCUBIC試薬は、水に溶けにくいリン脂質を取り除いて透明化する方法です。逆に水へ溶けにくいリン脂質を分散させるためにDBEのような有機溶媒を用いるのが3DISCOのような手法であると考えることができると思います。

 

番外編

今回の記事の本編では浸しておくことで組織を透明化する手法をメインに紹介しましたが、それとはまったく違う手法によって脳を透明化する研究が2013年のNatureに報告され、注目を集めました。報告したのは、以前の記事でも紹介した、オプトジェネティクスの先駆者であるKarl Deisseroth教授のグループです。

詳しくは省略しますが(詳しくはこちらなど)、CLARITYと呼ばれるこの斬新な手法は、生命科学の研究を行う研究室ならほぼ毎日使っている、アクリルアミドゲルと電気泳動法によって脂質のみを除去する方法です。Beforeとafterの画像が下のようになります。

CLARITYによる脳の透明化

CLARITYによる脳の透明化

オプトジェネティクスもそうですが、すでにあるものを組み合わせるだけなので、言われてみると、当然の手法ですが、実際思いつくのは非常に難しい、まさにコロンブスの卵ですね。

投稿者プロフィール

ドラゴン
ドラゴン
4月から博士後期課程1年生。工学部で生命科学の研究をしています。
化学・生物全般に興味があります。

透明人間ならぬ透明マウスが透明になる理由」への3件のフィードバック

  • 透明化の目的がわからないので見当はずれかもしれませんが、今回の解説を読むと、本当に透明化するなら空気の屈折率に近づけようという検討が最初に出てきそうな気がします。
    水、脂質両方の屈折率を変えないといけないので難しそうだとは思いますが、そのような研究もされているのか、現状どうなのかについて教えて下さい。

  • コメントありがとうございます。
    ご指摘はもっともで、確かに屈折率の異なる物質の境目で光の散乱は起こるとすれば、組織と空気の境目でも散乱が起こるので、組織の屈折率を空気側に合わせられれば理想的だと思います。
    ただ、結論から先に言うと組織の屈折率を空気側に合わせることは下記の通り原理的に困難ですし、次の記事で詳しく紹介する予定である透明化の目的 (タンパク質の局在や細胞のネットワーク構造を可視化すること) を考えると、今の透明度で十分なのでおそらくそのような研究はされていないと思います。

    まず、屈折率というのは物質の密度に比例します。このことは、気体(大気の屈折率=約1.00)、液体(水の屈折率=1.33)、固体(鉄の屈折率=2.36)の順番に屈折率が大きくなることからも分かります(様々な物質の屈折率一覧がこちらで確認できますhttp://ww1.tiki.ne.jp/~uri-works/tmp/)。つまり、もし組織の屈折率を空気側に合わせるならば、乾燥させることで水の代わりに気体を溶媒にしてやる必要があります。
    しかし、マウスの死体をカピカピに乾燥させたとすると、イオンやタンパク質などの今まで水に溶けていて(=水中に分散していて)散乱の原因にならなかった生体を構成する物質が、気体中に分散することができず目に見える形で析出してくることが容易に想像できると思います。空気中にタンパク質やイオンなどを無理やり分散させるためには、熱やレーザーなどでエネルギーを与える方法が考えられますが、そうするともはやマウスの形を保つことができなさそうです。

    この回答を書くために考える過程で気づいた点を追記にも書いたのでよかったらご確認ください。

    • 【訂正】乾燥させることで水の代わりに気体を溶媒にしてやる必要があります。→乾燥させることで水の代わりに気体で満たしてやる必要があります。

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