光を当てるとマウスの記憶が蘇る??? ~ オプトジェネティクス入門 (後篇)

光を当てるとマウスの記憶が蘇る??? ~ オプトジェネティクス入門 (前篇)では、なぜ脳科学が近年注目されているのかについて説明しました。いよいよ今回は「オプトジェネティクス」と呼ばれる技術について説明したいと思います。


脳の情報伝達の原理


人間の大脳は数百億個もの神経細胞(以下ニューロン)がお互いに結合を作ることで、脳の中でネットワークを形成しています。そしてこのネットワークの中を電気信号が行き来しており、この電気信号が脳の情報伝達の実態です。

また、脳は様々な領域に分かれていることが知られています。つまり一生懸命ものを見ているときは視覚野周辺のニューロンに電気信号が流れ活性化され、言葉をしゃべっているときは言語野のニューロンに電気信号が流れ活性化されているのです。

脳地図

ペンフィールドの脳地図

 

ひと昔前までは、マウスなどの脳に電極を埋め込み脳の特定の部位に無理やり電圧をかけることで活性化し、その行動を観察する手法による研究がよく行われていました。この手法によって脳の部位ごとの機能など、脳に関する重要な知見が得られてきましたが、一方で電極による刺激は電極周辺の細胞がすべて活性化されてしまうためその分解能が低く、また電極を埋め込むという実験上の制約が大きいという欠点がありました。


オプトジェネティクスの誕生


オプトジェネティクス(optogenetics)は2005年にKarl Deitherothによって提唱された、「光(opto)」と「遺伝学(genetics)」をつなぎ合わせた造語です。ざっくり言うと、脳のニューロンのはたらきを電極の代わりに光によって制御する研究です。

マウス

以下少し複雑ですが、その原理を説明したいと思います。生物嫌いだぜ、という方は読み飛ばしていただいて大丈夫です。

ニューロンに流れる電気信号を発生させているのがニューロンの表面にあるイオンチャネルと呼ばれるタンパク質です。詳しくは割愛しますが、ニューロンはこのイオンチャネルを開け閉めし、細胞の内部と外部の電位差をコントロールすることで情報を伝えています。

Karl Deisseroth教授は、このイオンチャネルの開け閉めで行うことができないかと考え、哺乳類のニューロンにチャネルロドプシンというバクテリア由来の光によって開け閉めができるイオンチャネルを遺伝子工学的*1に導入することに成功しました。つまり、マウスのニューロンにバクテリア由来のイオンチャネルを導入することで、脳の中の光を当てた場所のみが活性化されるマウスの作製に成功したのです。

この研究成果は脳科学の研究に大きなブレイクスルーをもたらしました。というのも、光による焦点を絞った局所的な刺激は、電極による電気刺激に比べて非常に高い時空間分解能を有しており、特定のニューロンの活性化と個体の行動の関連付けが非常に容易になりました。

更に二光子励起法という最先端の技術を使うことで非侵襲的(皮膚を切り開く必要がない)に特定の脳の部位を活性化できる可能性があります(これについては詳しく説明しませんが、気になる人は「2光子励起 オプトジェネティクス」で検索してみてください)。


マウスの忘れた記憶が蘇る???


オプトジェネティクスは比較的新しい技術ですが、すでに脳科学の研究ツールとして広く使われおり数々のインパクトのある結果が出ています。最近の例ですとノーベル賞受賞者で理研―MIT神経回路遺伝学研究センターのセンター長を務める利根川進センター長らの研究成果が様々なメディアに取り上げられました。

日本経済新聞 「忘れた記憶復活 理研、マウスで成功

 

利根川さんの実験

私たちの記憶というのはニューロンのネットワークのつながりに蓄えられていると考えられており、その記憶が長期にわたって保存されるためには、ニューロン同士のつながりを強めるシナプス増強と呼ばれる現象が起こることが不可欠であると考えられていました。

そこで利根川センター長らはある小箱にはいったマウスに弱い電気刺激を与えることで怖い体験をさせ、この時活性化した海馬歯状回と呼ばれる場所のニューロンを特殊な手法で標識しておきました。通常はこの細胞群のニューロン同士のつながりがシナプス増強によって強化されることで記憶が定着されると考えられ、実際、翌日に同じ小箱へこのマウスをいれると、前日の記憶を思い出し、体をすくめます。

そこで怖い体験をさせた直後にシナプス増強を阻害するタンパク質合成阻害剤を投与すると、翌日に同じ小箱へマウスをいれても予想通りすくみませんでした。しかし、さらに翌日に別の箱へマウスをいれて前々日に標識した海馬歯状回のニューロン群をオプトジェネティクスを用いて刺激してやると、驚くべきことに記憶を失ったはずのマウスは再び怖い記憶を思い出しすくむという結果が得られました。つまり、シナプス増強が起こらず一見忘れてしまったように見える記憶も、実は海馬歯状回のニューロン群の中に蓄えられており消えてしまったわけではないことを意味します。

(以上一部図や文章などhttp://www.riken.jp/pr/press/2015/20150529_2/#note3より引用)

記憶のメカニズムに関してはまだまだ分かっていないことが多くあり、楽しみな研究分野ではありますね。物忘れが激しい自分としては、脳の深く底に埋もれている記憶を思い出させてくれる薬が開発されればいいなと思うのですが…。実用的には、犯罪捜査に使えたりしないでしょうか。忘れてしまったような記憶もその薬を飲むだけで詳細まで鮮明に思い出すことができたりしたら、犯人の目撃情報の収集に役立ちそうですね。関係のない嫌な記憶も鮮明に思い出してしまって精神的におかしくなりそうな気もしますが。


まとめ


いかがでしたでしょうか。オプトジェネティクスは昔からずっと研究されてきたバクテリア由来の光応答性のイオンチャネルを、これもまた広く使われていた遺伝子工学的な手法でマウスのニューロンに導入することで、近年注目されている脳科学の分野にブレイクスルーを起こしました。一見すると、誰でも思いつく可能性のあった技術に見えますが、そういった広く研究されている既存のモノを組み合わせて作った技術だからこそ、これだけ早く広まって様々な研究成果を生み出す価値のある技術になるのではなったのではないでしょうか。

脳というのは人間の体の中で一番謎が多い部位なので、オプトジェネティクスを使った今後の大きな発見が期待されますね!脳研究については、透明化脳というものについてもそのうち紹介したいと思います。また、今回の記事は少し込み入った話題でしたが、もう少し多くの人に馴染みのあるトピックや、大学院生の研究生活についての記事もポストしていく予定なのでお楽しみに!

 


 

追記(3/17)

紹介したマウスの記憶に関する論文の続報が出ました!

「アルツハイマー病で記憶が失われていない可能性」http://www.riken.jp/pr/press/2016/20160317_1/

アルツハイマー症とは初期の物忘れなどの記憶障害からはじまり、後期になると認知力が大きく低下する認知症の一種です。しかしその発症メカニズムははっきりとは解明されておらず、有効な治療法は現在のところありません。

そこで利根川教授の研究グループは、AD(アルツハイマー病)初期の物忘れのはげしいマウスに、オプトジェネティクスを用いて海馬歯状回のニューロン群を刺激することで、記憶の復元に成功しました。

これはつまり、いままで未解明であった、アルツハイマー病の初期の段階の記憶障害が、記憶は形成されているけれどもそれを思い出すことができないだけである、ということを初めて示唆する結果となりました。

この発見を足掛かりにアルツハイマー病発症の詳細なメカニズムが解明されれば、この病に対する有効な治療法も生まれるかもしれません。

また、アルツハイマー症は「記憶」に異常を引き起こしますが、「運動」に異常を引き起こすパーキンソン病ALS、「精神」に異常を引き起こす自閉症など、いまだ有効な治療法がない脳の病気も、オプトジェネティクスを用いたアプローチでそのメカニズムが解明される日がいずれ来るかもしれませんね!

 

ドラゴンの記事を読む

*1 遺伝子工学的:  細胞に望みの遺伝子(=タンパク質)を導入する方法です。遺伝子組み換え作物なんかは大体この手法で望みの性質(おいしい、害虫に強いなど)を持たせています。
参考文献

画像引用元
(1)マウスの写真 http://blogs.lt.vt.edu/stems/2014/05/01/optogenetics/

(2)ペンフィールドの脳地図 http://ameblo.jp/tanikanokonikki/entry-11543939799.html

投稿者プロフィール

ドラゴン
ドラゴン
4月から博士後期課程1年生。工学部で生命科学の研究をしています。
化学・生物全般に興味があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です